粗にして野だが卑では無くバイク馬鹿でもない

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zoom RSS 靖国神社

<<   作成日時 : 2012/07/28 01:41   >>

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自家用車の後ろに靖国神社のお守りを貼っている。
それを見た会社の若いのが

「nabekoshiさんってサヨクなんすか?」

と実にトンチンカンな疑問を呈してくれた。
ウヨクって言われんなら、ま、しょうが有るめぇと思うがよりによって「サヨク」とは恐れ入った・・・。

「オマぇ、勉強してから物を言え・・・!」と言って別れたが・・・。
無知とは恐ろしや・・・。


ここから本題。

「私と靖国神社」

そろそろ8月になります。するってぇと「ゲンバクの日」と「終戦記念日」となる訳だ。
ゲンバクの日は別として終戦記念日には切っても切れないのが靖国神社であります。

私は靖国神社の奉賛会と言うものに参加しております。
そして毎月奉賛会の会報が届けられます。

大雑把に簡潔に靖国神社を説明すれば
明治維新の後、維新の混乱で亡くなった御霊を慰める為に設立されたのが東京招魂社。
やがて靖国神社と改められ日清、日露戦争、第一次大戦、そして大東亜戦争で戦没された御霊も奉る事となりました。

正直申せば上記の後輩同様私も靖国神社というところは所謂「ウヨク団体」の総本山と思っていました。
(件の後輩は「ウヨク」と「サヨク」と勘違いしてました。無知とはゲニ恐ろしきかな)

話は私の母方の実家に飛びます。

母方の爺様は早くに亡くなりました。
戦没者です。

フィリピンのミンダナオで亡くなったと伝わってます。42歳でした。
戦没の通知と戦友の報告のみで遺骨は未だミンダナオの草叢で南国の日差しと湿気に晒されていることでしょう。
(遺品と言えるものは、母が買って貰ったセルロイドの三角定規くらいです。)

母方の実家というのが因果な家柄で
総領息子である従兄弟の兄さんがこれまた若くして亡くなった。
悲しいことに兄さんには子供が無かった。
つまり今、実家を守っている奥さんがいなくなったら御家断絶となる訳です。
これまで絆いできた糸が途切れる事となってしまった。

余談ですが
母方の曽祖父もまた日露戦争に出征してたそうです。
幸いに曽祖父は帰還しました。
しかし、戦闘中に肩に被弾してしまった。傷痍軍人となったそうな。
まだ5歳くらいの母に風呂に入るときにその銃槍を見せていたそうです。

曽祖父、祖父の軍人恩給があったおかげで母の実家は戦後を食いつないで来れたとか。

そうして絆いできた家系が兄さんの代で途絶えてしまった。
つまり先祖を祀る事が出来なくなる。
そこで思い出したのが靖国神社でした。

恥ずかしながらその時まで御霊を祀る、先祖を敬うと言う事を考えたことはありませんでした。
ただ、単純に靖国の御霊となれば未来永劫爺様は国の御柱として伝えられると考えた。それだけでした。

母が横浜のお婆さんの見舞いに行った折に爺様を靖国に祀って貰いました。
母もその時初めて靖国神社の参拝したそうです。
そこで色々様々な気づきがあったようです。
母は靖国神社に自分の父親が御霊となって祀られる事に大変に満足して帰ってきました。
後日私も上京の折に靖国神社に参拝して奉賛会に参加した次第であります。


奉賛会の会報には毎回先の大戦で散花された御霊の辞世の文が掲載されます。
読む度に驚愕を覚えます。

その高い知性と崇高な自己犠牲の精神に。

詳しい文面は調べればネット上にいくらでも出て来ます。
二十歳そこそこの若者がしたためる文章とは思えない。
20歳当時の私も勿論書けない格調高い手紙。
一度ご覧になって頂きたい。
(地元の護国神社の資料館でも拝見出来ます。)


靖国神社は東京の九段に鎮座されてます。
各都道府県にも同様の神社が分社されてます。
これが護国神社です。

中々上京出来ない私は去年の終戦記念日に母と叔母を連れて
仙台の青葉山に鎮座する護国神社に参拝しました。
(その時の宮司さんの祝詞には今回の大震災で亡くなった御霊やこれまでの戦で散花された御霊への哀悼に加えて、そうした御霊に対する崇敬の念が欠如している民腫党政府への批判もあった事を記しておきます。)

さて、そうした特別な日の参拝ですから様々な参拝者がやってきます。
デートのついでのカップルやごく普通の家族連れ。
勿論、戦友を慰める為にやって来た御老人たち。
みな其々の心持ちに従ってやって来ます。

ところが異様な集団が此処ぞとばかりにやって来ます。
上記の後輩が勘違いした「ウヨク団体」の連中です。

今となっては彼等が街宣する文言は概ね納得できる内容です。
しかしながらこの時の彼等の行動を見ると眉をひそめざるを得なかった。

青葉山の駐車場に車を停める際に我先と割り込んで他の参拝者を威嚇するように睨みを聞かせていた。
一応、神前ではシュクショウな態度で参拝はしていた。
しかし、その如何にもイカツイいで立ちは心静かにお祀りする場臨む格好ではない。
更には参拝後に境内のオープンカフェを陣取りこれまた他の参拝者に対する配慮が全くない。
もし、彼らが愛国者、保守主義者であると自負するのであるならば上記とは逆の態度を示すはずであろう。

つまり、彼らは「本物」ではない。そういうことだ。

所謂「ウヨク団体」が偽物である、というのは良く耳にする話だ。
それを実感する事となった。

後輩のイメージする「ウヨク」とはこういった連中だ。
私もかつてそう思っていた。
困った事にこうした連中が靖国神社や様々な場所に出向く為に。
「靖国神社即ちウヨク」というステレオタイプなイメージが出来上がってしまった。

対照的な風景があった。
護国神社での式典の最中。
 天皇陛下 のお言葉の前後も含めて約2時間の間
神社の拝殿の隅で直立のまま頭を垂れている二人組がいた。
50代後半と思しき夫婦と見受けた。

決して目立たないが
他の参拝者に迷惑が掛からない様な計らいといい
一途に式典を見守る様といい
すべての所作振舞いが見事としか言いようが無かった。

あの夫婦は本物だ。
そう思わざるを得ない。
本物の日本人に出会った気がした。


さて、靖国神社、そして各地の護国神社に祀られている御霊の犠牲の上に
もっと言えば連綿と血統を伝えてくれた先祖の御蔭で今私たちは生きている。
これは間違いのないことでしょう。
ところが職場等でこうした戦没者やご先祖を揶揄するような言動を見聞する事がある。

「お前、日本兵みたいだな!」

決していい気分ではないが、目くじら立てるのも野暮と思い黙っている。
でもそれはとても悲しいことだろう。

自分の爺様婆様、ご先祖に足で砂をかけるようなもんだ。
そういう事をいう方々はきっとご先祖がそういう事なく過ごしてきた実に幸せな境遇だったのだろう。
ならばもっと先達に感謝することだ。そう考える。


よく言われるのが戦後教育がおかしい。
ごく身近な出来事を追ってみても戦後の教育やら文化やらの臭みが鼻につく。

上記の後輩にもう一度
「先輩サヨクすか?」と聞かれたら
「いや、右翼だよ。」と答える。
でも自分では「真ん中」だと思っている。
俺を右と蔑む世の中の方が左がかっていてイかれている。
そんな俺を世間はイかれていると言うだろう。

自分が寄って立つ場所の事を学べば自ずと答えは出てくるだろうに。















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